復活の日まで    友人のIさんに捧ぐ

11月18日朝曇り 今日は散歩 兼歩行訓練兼 友人訪問で大阪市内に出かけました。

うちのホームタウンは 大阪郊外の衛星都市で 東の端っこ ほとんど京都府と接したところにあります。
そこから大阪市南部まで電車で移動します。
ほとんど旅行のノリですね。
阪急電車〜大阪モノレール〜地下鉄谷町線〜目的地という工程です。
このコース 割合新しいルートで施設も新しくバリアフリーが進んでいて 足の悪い私にも 優しい道程です。
モノレールの駅は 柵がしてあって比較的安全だし 駅はエレベーター エスカレーターともに完備していて 車椅子者にもとっつきやすい駅になっています。
健常者には気がつかないことですが 不自由なものにとっては ありがたい配慮がしてあって 好感が持てました

不自由になって知るありがたみかな。
エレベーターのボタンの位置が低いこと また車椅子の人の高さの手すりなど よく考えてあります。
ひすあきさんちの住む町の商店街に着きました。
ここは明るくて気さくで活気があって 私は大好きです。
いつ来ても気持ちがうきうきして楽しいのです。

よその商店街はもっと閑散としていて軒並みシャッターが閉まっていたり 人がぎすぎすしていたりして 荒れています。
ここは明るくて好きです。
うちの近所の商店街の品物に比べ 3〜4割もモノが安いように思います。
なんでもプロも仕入れに来る店もあるそうです。
このハンターカブの持ち主が ひすあきさん。
いつもお世話になっています。

しばらくお店で談笑していました。
ここにいると 時間がすぐに過ぎてしまって 1〜2時間なんてあっという間です。
悪星さんも来てくれて 楽しく話していました。
私は今日は別の友人に会いに来たので そろそろおいとましました。
悪星さんがスクーターで送ってくれるというので 大阪府立病院まで送ってもらいました。

しかしさすがバイク乗り 慣れたもので 足の悪い私を乗せての二人乗り しかも松葉杖も持ってくれました。
運転がうまいので怖いことも無く 安全に府立病院まであっという間に行けました。
ここは府立病院なんですが この病院の中に 府立障害者自立支援センターがあって ここに友人のIさんが 自立訓練のため 入所しているのです。

府立自立支援センターに着くと すぐにIさんに連絡をとりました。
彼は部屋の前で待っていてくれました。
こないだあったときと同じ笑顔 同じ声で出迎えてくれました。

元気そうだし訓練も順調だということで 私も彼と同じようにうれしくなりました。

彼は頑張り屋さんで リハビリ病院にいたときは 動かない手を懸命に訓練して なんとか動かそうとしていました。

私は そんな彼の手伝いをしたくて よく彼の手をマッサージしたり さすったりこすったりしました。

彼とは毎日毎日病院の外周を一緒に歩いたり 夜訓練が終わってから 話し込んだりして何ヶ月間か 行動を共にしました。

彼の退院の日 彼の後姿を見えなくなるまでずっと見送って 見えなくなったとたん涙が止まらなくなったのを憶えています。

別れの挨拶をするときは泣かなかったのに。


もう一人 リハビリ病院から来ている人がいました。

この人はUさん。

入院中Iさんと同じ病棟にいて 私よりもIさんとの付き合いが長い人。

IさんとUさんは性格も行動も全く反対で 頑張りやさんのIさん のんびり屋のUさんと 評価は分かれます。

Iさんが日中必死になって訓練に励んでいた頃 Uさんは朝寝坊したり 病院を抜け出してコンビニに行ったりと 訓練をサボることが多かったですが なぜか憎めないところがあって 誰も本気になって彼を叱る人が無く 飄々としていました。

正反対の二人が この選ばれた人が来る(なかなかこの施設には入れないそうです)自立支援センターに入所して 共に訓練していることがおかしくて 私は人生の不思議さを感じました。

Uさんは得な役回りなのかもしれません。

でもこの先は どうなるかは分からない。

Iさんは リハビリ病院にいたときより いま随分機能回復が進んでいて 成果が出ていますが Uさんは遅れていて いつの間にかIさんに抜かれてしまいました。

治りたいと強く思うものだけが 回復の切符を手に入れるのだと 私は思います。

「Uさんも頑張ってくださいよ」

こういって 元気付けてきましたが Uさんはいつものように笑っているだけでした。

ほんま  頑張ってゃー
ちょっと長居しすぎたので 二人と別れるべく 病院を出ました。

Iさんは途中まで送ってくれました。

バスには乗らず チンチン電車で帰ることにしました。

帝塚山の商店街は どこもシャッターが閉まっていて寂しく ひすあきさんちの商店街とは 雲泥の差でした。

日曜日に人の通らない通りは いつお客さんが来るの?
と思わせるのに十分な異常さが漂っていました。

冷えも手伝って 背中が寒くなりました。
Iさんはチンチン電車(南海電鉄阪堺線)の帝塚山四丁目の駅まで送ってくれました。
ありがとね。

泣き虫の彼と 最後しっかり両手を握って でも目は見ずに別れました。
私だって十分彼に負けないくらい泣き虫ですから。

こんなところで泣くのは お互い恥ずかしいです。

あなたには希望があります。

いままでどおり 自分を信じて 頑張って訓練してください。

「明けない夜はない」

私が友人にもらった言葉を こんどはあなたにささげます。

応援してます。

また来るよ。相棒。

夕暮れの迫った街はなぜか寂しく 長い影は心に伸びて 後ろ髪引かれる思いは あとへあとへ引っ張ります。

さむいよう くらいよう せつないよう。

でも明日はちゃんと来るよ。

きっと。

もう おかえり。

ありがと。
僕だってまだ松葉杖が離せない。

まだまだ骨はくっついていない。

歩行だって慎重にやらないと また一からやり直しになるかもしれない。

でも彼に較べたら ずっと気は楽だ。
希望もある。

この先自分が治っても 彼やもっと頑張っている人たちのことは忘れないようにしたい。
いや 忘れない。

気がつくと 松葉杖をぎゅっと握った左手が いつの間にか痺れていた。
そういえば 左手も骨折していたんだっけ。
帰りは行きと同じコースにしました。
夕方のモノレール沿線はとてもきれい。

街がオレンジに色づいて 一段と輝いていた。

やっぱり夕方は地べたを走るより 空から見下ろすほうが気分が良い。

モノレールの運転席からは 横の高速道路が見下ろせる絶好の位置にあって 最高のビューポイントだ。

「この道は まるで滑走路 夜空に続く・・・♪」(中央フリーウェイより)
くねくねと続く鉄路の先は やがて空に向かっているのかもしれないね。
筆の先でさっと描いたような雲 オレンジの光の束と それを受け止める道標のような建物群
 
一分一秒この場所に 早く来ても 遅く来ても 同じこの景色を見ることは出来ないだろう。

今日は今日 明日はまた違う色と光と影が この街を色づけるだろう。

痛い足をさすりながら 冷たいガラスにもたれて いっときの夢を見た。
うちの近所のカジュアルウェアのショップが移転して その場所にまた同じ系列のカジュアルウェアのショップが出来た。

今日はセール最終日。

まえのショップに較べると どの商品もデザインがいまいちだけど 確かに安くて 普段使いの服なら 買って帰っても使えそうだ。

松葉杖歩行なんで あんまり沢山買っても もって帰れないが とにかくフリースシャツだけは買っておこう。

ちょっとすいません そこ通してくださいな・・・・


帰宅は親父殿がすねるギリギリの時間でした。

ただいま  いま帰ったよー


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